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何故信じられないのか

 浄土真宗は阿弥陀如来の願いを聞く教えです。苦悩の有情を必ず救うという願いです。その願いが念仏となって私たちによびかけられています。願いが我が身に届いたことが信心ですが、「何十年聞いたが信じられない」「どれほど聞いてもわからん」という声を聞きます。何故信じられないのか、なぜわからないのか。それは自分の理性や分別で信じようとするからです。自分の頭でわかろうとするからわからないのです。自分でわかろうとする心がわからなくしているのです。仏の願いを聞くということは、少しも自力のハカライが入ったら聞こえないのです。疑いが晴れません。日本画家、東山魁夷氏の言葉に「私が花を美しいと捉えようとしている間は、まだ花の美に出会っていないのです。偉大な芸術家たちは、みなものの美に捉えられた人たちです。自分の我があったら本当に美しい絵は生まれないのです」とありました。花の美に我が破られるのです。同じように仏さまに我が破られ、仏さまの「そのまま救う」という願いが届いてくるのです。自力で聞こうとしている間は少しも聞いたことにならないのです。仏法を聞くということは、仏さまに自力では救われない我が身だと知らされ我が破れたとき、仏さまの願いが我が身に響いてくるのです。

at 18:04, 不死川 浄, -

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花の命は短いが

 今年も桜がきれいに咲いてくれました。しかしどんなに美しい花でも必ず枯れて散っていきます。永遠に変わらないこの世の真理です。花の命は短いが、花を咲かせるいのちのはたらきは無限、無量です。いのちは休むことなくはたらき続けているので、きっと来年も、再来年も美しい花を咲かせることでしょう。人間の命も、この世に生きている期間、眼に見えない永遠のいのち、無量の寿(いのち)によって生かされています。死の縁がくれば、いま生かしている永遠のいのちの世界、無量寿の世界である浄土へ帰っていくのです。今度は仏となり新しい活動が始まるのです。「まず有縁を度すべきなり」と言われているように、自分の身近なものから救おうとはたらき続けるのです。もともと私たちの命は自分のものではありません。無量寿のいのちです。しかし赤ん坊の時は知らないが、自我にめざめ少し小賢しく自力になって、我が命と思うようになるのです。そこから苦悩が始まるのです。それゆえ阿弥陀如来は念仏となり「いのちの真実に目覚めよ」とよび続けてくださっているのです。いのちの真実に気づけば、生死を超えることができます。死が怖くなくなります。「心は浄土に遊ぶなり」です。死の縁が来れば名残惜しいが、安心していのちの故郷に帰らせていただくのです。

at 15:35, 不死川 浄, -

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何故喜べないのか

 念仏を称えても、少しも喜べないという人がいます。何故念仏を称えても喜べないかというと、念仏を称えている人の主体が「我」になっているからです。それは念仏を私有化しているのです。自分勝手な念仏です。自分勝手な念仏をいくら称えても喜べません。念仏を称える主体は阿弥陀如来です。言葉無くして仏の願いは伝わりませんので、阿弥陀仏が凡夫の私たちを救うために、言葉の仏となって「阿弥陀仏に南無せよ」「我にまかせ、必ず救う」といつも呼んでくださっているのです。念仏を称えることは、阿弥陀仏の呼びかけに応えることでありますから、どこまでも主体は阿弥陀仏なのです。念仏を称えることは、阿弥陀仏の願いを聞くことであり、また願いが我が身に届いたことでありますから、大きな喜びです。苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、どんな時でも私の居場所を与えてくださり、自分を取り戻し支えてくださいます。いつでも、どこでも、どんなときでも呼んでくださっています。応えましょう。

at 16:14, 不死川 浄, -

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コロナから学ぶ

 人生何が起こるかわかりません。一寸先は闇です。それ故にこそ元気な時から、若いうちから、平生の時から、どっちに転んでも大丈夫と言える、生きる土台となる教えを聞いていなければならないのです。このたびのコロナウイルスにより人間の愚かさ、醜さ、自分勝手さが知らされます。マスクや消毒液の買い占め、また欧米ではアジア人に対する差別や偏見が多く起こっています。日本でも医療従事者、感染者や周りの人たちへの差別や偏見が多く起こっています。誰しもいつどこで感染するかわからない、もし自分や家族が感染し差別、中傷されたらどんな気持ちになるか考えてもらいたい。見えない恐怖に正しく向き合い、自分で考える物差しを持ってもらいたいです。なぜコロナウイルスが起こったのか。ウイルスが人間を襲ったのではなく、人間のほうからウイルスを引き出してしまったのだ、コロナウイルスは天災ではなく人災であり、現代の矛盾を映し出す鏡であるといわれています。イタリア人作家パオラ・ジョルダーノさんは、「ウイルスを引き出したのは、野生動物と人間の接触であり、その一因にますます頻繁になっている豪雨と干ばつの激しく交互する異常気象があり、その原因は温暖化による気候変動である」「自然と環境に対する危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそある」と述べています。これから私たちが自然と環境についてどう生きていくべきかをとても考えさせられます。このたびのコロナウイルスが終息しても、人間が傲慢になり、自然環境を傷つけると、地球からの警鐘としてまた新しいウイルスが起こってくるでしょう。

at 17:37, 不死川 浄, -

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今月の言葉

 今月の掲示板には、「良いことも悪いことも上手に付き合っていこう、二度とない人生だから」「逆風でも帆の立て方で船は進む」(荒了寛師)と書きました。私たちは今どのように帆を立てて進めばよいのでしょうか。昨日いただいたメールに「長い春休みをいただきました。こんなにゆっくりとした時間を過ごせるのは今だけだと気持ちを切り替えて悔いなく過ごします」また「貴重な時間をいただきました。いままで読みたかった本をゆっくり読みます」とありました。生きていればいろいろなご縁に遇います。良いご縁、悪いご縁、さまざまなご縁に遇います。それはみんないただきものなのです。与えられたものは受け止めなければならないのです。「どうして私がこんな嫌な目に合うのか」と愚痴をこぼすのではなく、苦しいでしょうが受け止めるしかないのです。現実を正しく見て、そのご縁をいただき、受け止めることにより生きる方向が見えてくるのではないでしょうか。悪いご縁を生かすことを逆縁といいます。人間は苦しい悲しい辛いご縁に遇うことによって、学び、育てられ、強くなっていくのです。仏教は、災難が来ないようにと祈るのではなく、災難が来ても引き受けていける力を得ることを教えています。

at 18:04, 不死川 浄, -

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念仏に明日はなし

 論語に「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」とあります。朝に人としての道を聞いて悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはないということです。孔子自身、真理に遇わなければ生きていても意味がないということも述べています。真理に遇うことがこの世に生まれた目的なのです。念仏は真理の言葉です。人間の言葉ではありません。念仏に遇った人は、念仏なしには生きても生きたことにならないということを実感されています。浄土真宗では、「念仏に遇うことがこの世に生まれた目的です」と教えています。念仏に遇えば、人生の目的地まで明らかになり、命終えれば浄土という目的地に生まれ仏さまにならせていただくのです。どんな状況になろうとも、安心して生き、安心して死んでいけるのです。「念仏に明日ということなし」です。無常の世の中、いつ命終えるかわからないし、明日明日と引き延ばせばいつ会えるかわかりません。今しか本当に大事なことに目覚める時はないのです。

at 16:54, 不死川 浄, -

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病気と薬

 ますます新型コロナウイルスが深刻化しています。一人ひとりが自覚を持ち感染予防に努めなければなりません。いま世界中の研究機関でコロナワクチンの開発に向けて必死になって取り組んでいることと思います。早く開発してほしいものです。仏教は苦の解決を目的としていますが、今は病人の治療と早くコロナの薬を開発し一刻も早く終結してほしいです。それと政治の力で仕事を失っている人に援助して欲しいです。ただ精神論かもしれないが、差別や非難をせず、お互い助け合い、苦を乗り越えていく力を身に着けてほしいです。念仏とは、煩悩具足の凡夫という病人を救うにはどうすればいいかと、阿弥陀如来が長い長い間必死になって苦しみ、やっとこれでしか救いの方法がないと念仏という薬を開発してくださったのです。念仏に遇えば苦に耐える力が身に付きます。念仏に遇ったからといって、病気が治ったり、お金が保証されたり、願いが叶うことはありません。ただ事実を受け止め冷静になれます。仏さまに育てられ心の余裕ができます。生きる力が身に付きます。念仏を支えとして、この困難に取り組んでいきたいと願っています。

at 02:02, 不死川 浄, -

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地球からの警鐘

 まさか新型コロナウイルスがこんなに世界中に拡大するとは。以前なら中国の風土病で終わったかもしれないが、ネットワークの広がりにより世界中に感染した。いま多くの国が非常事態宣言をしている。まさに戦争状態のようである。早く終結して普通の生活に戻ってほしいものです。ただ今回のパンデミック(世界的大流行)が予想外の影響をもたらしている。例えばイタリアの水の都といわれるベネチアでは運河を流れる水が澄んで見え、魚が泳ぐ姿も見れるようになり、ウイルスが美しさをもたらしてくれたそうである。これは観光客の出すごみが無くなり、また運河の交通量が減り、沈殿物がボートに巻き上げられなくなったためでそうです。きっといろいろな国や地域で海や川や空がきれいになり大気汚染が改善されていると思います。これは新型コロナウイルスは「地球からの警鐘」ではないか。いま地球は泣いています。悲鳴を上げています。ゴミの山、野や山、川や海、毎日汚染され続け、地球の仲間たちが消えていっています。温暖化により、海面上昇、洪水豪雨、熱中症、森林破壊、海洋生態系の損失といろいろ起こっています。これからの10年が地球と人類の未来を決めるといわれています。温暖化対策は、各国が自国の利益にこだわる発言が多く足の引っ張り合いで一向に進んでいない。今回のコロナウイルスは、私たちの生き方や社会のありようを根本的に見つめ直すことが余儀なくされています。きっとこれからもコロナウイルス以外に地球からいろいろな警鐘を鳴らしてくるでしょう。世界中の人々が、この警鐘を謙虚に受け止め、協力し合って生きていかねばならない。

at 19:08, 不死川 浄, -

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一寸先は闇

 人生何が起こるかわかりません。一寸先は闇です。甲子園の土を踏むことを夢見ていた高校球児、中止になり、さぞ無念であったことでしょう。また楽しみにしていた結婚式、旅行、イベントが中止や延期になり残念であったことでしょう。新型コロナウイルスだけでなく、いつどこで何が起こるかわかりません。地震、火事、事故、倒産、病気に、いつ出会うかわかりません。仏教とは、災難が来ないようにと祈る教えではありません。一生懸命祈ったからと言ってどうにかなるものではありません。誰しも災難に会いたくありません。しかしいつ会うかわかりません。人として生まれたからには生老病死から逃れることはできません。仏教は災難に会っても、それを受け止めて、乗り越えていく力を得ることを教えています。良寛さんのように「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、これはこれ災難をのがるる妙法にて候」と達観できたらいいんですが、凡夫の私たちにはとても難しいです。その私たちに阿弥陀如来という仏さまは大きな悲しみの心から名の仏となり、名の中にすべての功徳をこめ、私たちの口から出てくださり、「いつも一緒です。どんな時もあなたを支えます」とよび続けてくださっています。絶望のどん底に大地ありです。

at 17:02, 不死川 浄, -

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光と影

 光なくして影は見えない。同じように光なくして煩悩は見えない。影は光によって知らされるように、私の煩悩は仏の光によって知らされるのです。それは煩悩があるから、仏のはたらきに気づくことでもあります。煩悩なくして仏に遇えないのです。煩悩は無くそうとしてはいけないのです。無くそうとしても無くなりません。見えたらいいのです。仏法を聞くということは、偉い人、立派な人になるのではない。逆に私の愚かさ、醜さ、恥ずかしさ、罪深さが知らされるのです。頭が下がる人に育てられるのです。偉そうにしている人はまだ仏法が届いていないのです。救われない我が身に気づかなければ、仏の慈悲は沁み込んではきません。仏の光の温もりに気づきません。光は闇を破ります。どんな深い闇でも、光が射し込めば闇は破れます。そして周りを照らし明るくします。光は分け隔てなくどこにでも平等に照らします。そして多くのいのちを育てます。いのちを輝かせます。また光は生きる方向を示してくれます。生きる足許を照らし進むべき道を示してくれます。仏法を聞くということは、仏の光のはたらきに底知れない私の煩悩が知らされるとともに、仏さまに育てられ、足許が照らされ、真実へ生きる方向が示されていくのです。仏さまとともに歩む人生です。

at 17:02, 不死川 浄, -

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