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マカセヨ・ハイ

 親鸞聖人のご和讃に「生死の苦海ほとりなし 久しく沈めるわれらをば 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せて必ず渡しける」とあります。生死の苦海に久しく沈んでいる私たちを救うために南無阿弥陀仏の船が私たちの処まで来て、「必ず救う、まかせよ」と叫び続けてくださっています。「ハイ」とまかせ弥陀の船に乗るしか私たち凡夫の救いはないのです。しかし現代では「ハイ」とまかせる人が少ないのは残念です。何故まかせないのか? 救いの船を疑い、ハカライ、拒否しているのか、まだ自分が生死の苦海に沈んでいることに気づかず、自力ではたすからないことに気づいていないのでしょう。阿弥陀さまは念仏となり、いつも私たちの固い心のドアーを開けようとノックし続けてくださっています。仏法を聞き、阿弥陀さまの智慧と慈悲のはたらきに遇えば、疑いが晴れ、心のドアーが開き阿弥陀さまが私の心の中に入ってきてくださるのです。それが弥陀の船に乗るということです。弥陀の船に乗れば、生死を超え、死ぬことが心配で無くなります。台風や大波がきても、阿弥陀さまとともに無碍の一道の人生を歩むのです。

at 15:03, 不死川 浄, -

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人間の世界・仏の世界

 人間の世界は自我の世界です。娑婆、世間、忍土といいます。上下・優劣・損得・善悪・美醜があり、健康が一番という価値観です。若くて元気で役に立つことがプラスであり、病や老いや死や役に立たないことをマイナスとみています。どんな社会でも上に行けばいくほど偉い人と思われています。仏の世界は無我の世界です。浄土、出世間、無量寿の世界と言います。上下・優劣・損得・善悪・美醜の比べることのない世界であり、分け隔て物差しのない一味平等の世界です。そのままでいい世界であり、私が私であってよかったといえる世界です。どんな汚い川もきれいな川もみな一味平等な川へ流れていきます。それが自然なことです。人間はいつも自然に逆らうから迷い苦しむのです。はからわず、逆らわず、分別せず、自然の流れにまかせて、老いること、歳を取ることを楽しんで生きていきましょう。それが仏の教えです。

at 19:13, 不死川 浄, -

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真実からのよび声

 「真実は人間の方から求めるのではなく、真実の方からはたらいて来ているのです」私たちは真実と名のつくものは何一つ持ち合わせていません。虚仮不実のわが身です。縁一つで何を思い、何をするかわかりません。どこまでも自我中心に生きています。その私たちにいつも真実の方からよび声となり、愚痴や悪口を言う同じ私の口から「ナンマンダブツ」と「心配ないよ、大丈夫、必ず助ける」とよんでくださっているのです。私たちはその声に素直に従い、あるがままに生きていけばいいのです。生きていればいろいろなことが起こります。辛い時、悲しい時、腹が立った時、寂しい時、どんな状況のときでも生きる道標、生きる支えとなり、安けき心を与えてくださるのです。自分を見失って生きているとき、自分を取り戻し生きる方向を示してくださるのです。その真実からのよび声に素直に従って生きることによって、私たちの人生は豊かで意味のあるものになるのです。

at 20:40, 不死川 浄, -

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受けとめ方を変える

 樹木希林さんの言葉に「受けとめ方を変えることで素晴らしいものに見えてくる」という言葉がありました。よくお年寄りの人から「歳は取りたくないです」「歳をとることは辛いです」という言葉を聞きます。樹木さんは、歳をとること、老いていくことを、受けとめ方を変えて面白がっていられました。歳を取るということは身体が不自由になってきます。「その不自由さをなくすのではなく、その不自由さを面白がっていくのです」と話されていました。仏法を聞くということは、自我中心の見方から、仏さまの温かい眼差しをいただくのです。それが仏法を聞くということです。仏さまの眼は、決して分け隔てされません、比べられません、物差しではかられません。その人をその人のまま認めてくださっています。仏さまの眼をいただくと、歳を取ること、老いること、死んでいくことが「苦」でなくなっていくのです。いのちが喜ぶのです。与えられたことを受け止め、面白く、楽しく生きていくのです。

at 18:17, 不死川 浄, -

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往生おめでとうございます

 先日、樹木希林さんが75年の生涯を閉じられました。病気になられてからも、老いてからも、与えられたことを受け止め、多くの人に心に響く言葉を残していかれました。「生きるも日常、死んでいくことも日常。死は特別なものとして捉えられているが、死ということは悪いことではない。そういうことを伝えていくのも一つの役目かもしれない」「年をとることは本当に面白いもの。年をとるというのは絶対面白い現象がいっぱいある。だから若い時にはできなかったことを、一つずつ面白がって欲しいの。受け止め方を変えることで素晴らしいものに見えてくる」「人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくのです。その不自由さを何とかしようとするのではなく、不自由さをおもしろがっていく、それが大事なんじゃないかと思います」 彼女の生きざまは念仏者のようでありました。仏教系の高校を出て、築地本願寺で結婚式を挙げられています。仏縁があったことだと思いますが、彼女の素晴らしさは、見事に言葉通りに生き抜いたことです。多くの人が最後のコメントに「冥福を祈ります」と書いていましたが、彼女には冥福を祈る必要はありません。念仏者に送る言葉である「ご往生おめでとうございます」という言葉がもっともふさわしいような気がします。合掌

at 16:28, 不死川 浄, -

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祈りなき宗教

 仏教とは本来祈りなき宗教です。真理に目覚めた人(覚者)の教えを聞き、実践していく教えです。仏さまに合掌することは、真理へと正しく導いてくださるお釈迦さまに敬意を表し、尊敬と感謝することです。浄土真宗は自力で覚ることができない私たちのために、真理即ちありのままの世界(如)から(来)てくださった阿弥陀如来の願いを聞き、阿弥陀如来にすべてをまかす教えです。私たちの方から願ったり、祈ったりするのではありません。私たちが願うより先に、私たちを救おうとはたらき続けてくださっているのです。その阿弥陀如来の願いを聞き、智慧と慈悲のはたらきに救われていくのです。本当のことは、自ら求めて得るものではなく、向こうから、真理の方から来て、気づかせ、めざめさせてくれるのです。私たちが願う前からはたらき続けている阿弥陀如来の願いを聞いていきましょう。

at 22:18, 不死川 浄, -

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ご縁の中で

 人はそれぞれご縁の中で生きるしかないのです。まず私たちは不思議なご縁でこの世に生まれてきました。生まれた環境やもって生まれたものもそれぞれ違います。いただいたご縁を生かしていくしかないのです。どういうご縁に育てられたか、どういうことに出会い、どういう人たちと出会ったかにより人格形成ができてきます。その中でそれぞれご縁の中でどういう学びや経験を積み決断をしてきたかによりさまざまな人生があります。また不思議なご縁で伴侶に会い夫婦となり子供を授かっていきます。毎日の日常生活でも縁一つで喜んだり、悲しんだり、苦しんだり、怒ったりしています。縁一つでどういう行動をするかわかりません。そして最後は自分の意志に関係なく、どういうご縁でこの人生を終えるかわかりません。長命か短命か、病死か事故死か天災死かわかりません。ご縁次第です。自分という存在を知り、いのちの事実を知らねばなりません。そうすると大きないのちのはたらきにまかすしかないのです。仏さまは「我にまかせ、かならず助ける」とはたらき続けていられます。まかすものに遇えば、どういう状況になろうとも、どっちに転んでも大丈夫といえる人生を歩めるのです。

at 03:58, 不死川 浄, -

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海にまかす

 旅の途中、久しぶりに海で泳ぎました。泳ぎ着かれて、しばらく仰向けになり海にまかせて休んでいました。沈まないものです。少しも力まず、はからわず、海にまかせていました。沈むのは、力を入れ、ハカライ、海にまかせていないからです。その時、阿弥陀さまに「まかす」ということもこういうことだなと感じました。阿弥陀さまは「我にまかせよ、必ず救う」とお念仏となりいつもよび続けていられます。私たちは、そのよび声を聞かず、自分のはからいで歪め、疑い、拒否続けていないでしょうか。海にまかせていると、波によってあちらこちらと動いていきます。波とは縁です。私たちの心は縁次第によって、あちらこちらと動いていきます。怒ったり、喜んだり、悲しんだりします。そのとき、お念仏が心の状態を気づかせてくださり、安心できる居場所を取り戻させてくださいます。海にまかす、阿弥陀さまにまかすとは、仏の大地に樹(た)って生きることです。眼に見えない仏の大地に樹てば、どんな状況になっても安心して生きることができます。まかすものがあれば、どっちに転んでも安心です。

at 02:19, 不死川 浄, -

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海にまかす

 旅の途中、久しぶりに海で泳ぎました。泳ぎ着かれて、しばらく仰向けになり海にまかせて休んでいました。沈まないものです。少しも力まず、はからわず、海にまかせていました。沈むのは、力を入れ、ハカライ、海にまかせていないからです。その時、阿弥陀さまに「まかす」ということもこういうことだなと感じました。阿弥陀さまは「我にまかせよ、必ず救う」とお念仏となりいつもよび続けていられます。私たちは、そのよび声を聞かず、自分のはからいで歪め、疑い、拒否続けていないでしょうか。海にまかせていると、波によってあちらこちらと動いていきます。波とは縁です。私たちの心は縁次第によって、あちらこちらと動いていきます。怒ったり、喜んだり、悲しんだりします。そのとき、お念仏が心の状態を気づかせてくださり、安心できる居場所を取り戻させてくださいます。海にまかす、阿弥陀さまにまかすとは、仏の大地に樹(た)って生きることです。眼に見えない仏の大地に樹てば、どんな状況になっても安心して生きることができます。まかすものがあれば、どっちに転んでも安心です。

at 02:19, 不死川 浄, -

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旅を終えて

 今年もお盆過ぎに、お休みをいただいて北スペインと南フランスを旅してきました。例年のごとく往復の飛行機のチケットのみ予約して、現地で宿を探し自由気ままな旅でした。まず北スペイン、ラスク地方のビルバオに行きレンタカーを借り、反戦のシンボルになっているピカソの絵で知られるゲルニカと周囲の町を回り、美食の町と言われるサンセバチャンに行きました。夜の8時半ごろに見た夕陽はとても綺麗でした。サンセバチャンから列車で、ワインで有名なボルドーに行きました。ボルドーは世界遺産の町であり、とても落ち着いた美しい町でした。そこから深夜バスで10時間かけてニースへ行き、ニースから列車でアビィニヨンとゴッホゆかりのアルルとサン・レミ・ド・プロバァンスを回って帰ってきました。快晴に恵まれ何のトラブルもなく、歴史と文化を学ぶとても楽しい旅でした。寂しいですがどんな楽しい旅も必ず終わりが来ます。人生そのものです。やはり帰る処があると安心です。来年はどこに行こうかともう思案しています。

at 10:50, 不死川 浄, -

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