2016.03.28 Monday
仏に遇う
仏さまに遇うということは、「必ず救うという仏」と「救われない私」がピタッと一致した時に遇えるのです。法の深信と機の深信が一つになることです。人間はどこまでも自我が強いから「救われない私」であるということがなかなか気づけないものです。それ故に仏さまは光でもって私たちを照らし育て、私たちの煩悩の深さを気づかせてくださっているのです。仏法を聞けば偉くなるのではない、賢くなるのではない、立派な人になるのではない。反対です。私の愚かさ、罪深さ、恥ずかしさが知らされ「救われない私」が気づかされるのです。その時「必ず救う」という仏のよび声が我が身に響いてくるのです。光明を縁として、名号を因として信心の華が開くのです。