2016.01.26 Tuesday
光が射し込む
仏教では苦しみの根元は、無明であると教えています。無明とは明りがないことです。心が暗いことです。真実の智慧を持たないことです。人間の眼は、ありのままをありのままに見ることが出来ないのです。いつも真理に背いた認識をしているのです。皆それぞれ見たいようにしか見ていないので、迷い争い苦しむのです。いのちあるものは光を求めています。暗いのは嫌です。明日への希望の光を求めています。死に直面すると絶望のどん底に落とされた気持ちになり、明りが無くなるから苦しむのです。死の先に明かりがあれば、死を超えていけるのです。浄土とは無量光明土と言われます。光の国です。絶望とはお先真っ暗で、まったく光がないことです。阿弥陀如来とは、限りないいのちと光の仏です。念仏を称えるとはお先真っ暗の心に、仏の光が射し込んでくることです。無明の闇が破れ、希望の光が射し込み、生きる喜びを与えてくださるのです。