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救いとは

 救いとは、一般には願いが叶うこと、良い果を得ることと思われていますが、仏教で救いとは、どっちに転んでも、どういう状況になっても大丈夫といえる確かな因を得ることです。果ではなく因です。因とは土台・要・拠り所です。この無常の世の中、一寸先は何が起こるかわかりません。毎日変化し必ず死んでいく身です。確かな因となるものを生きる土台・拠り所として安心して生き安心して死んでいける身となるのです。確かな因を得ると、「私が私であってよかった」と喜べるのです。「その人がその人のまま」いのちが満足するのです。自我の満足ではなくいのちが満足するのです。救いとは現実が変わることではなく、現実はそのままでいのち輝く身となるのです。では何が確かな因となるのか? 仏のみ名を聞くのです。仏のみ名とは南無阿弥陀仏です。阿弥陀如来が私たちを救うために「名」となってくださっているのです。私の称える南無阿弥陀仏が、仏さまのよび声・名号であったと気づかせていただくのです。いつでも・どこでも・どんな時でも私を支えてくださっています。

at 19:51, 不死川 浄, -

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