2015.01.27 Tuesday
私が信じるのではない
信心とは、私が仏を信じる心ではありません。自分の方から仏を信じることはできないのです。信じたつもりになっているだけです。仏さまの力、はたらき無くして信心はおこらないのです。本来信とは自分で信じるのではなく、相手によって信じさせられるのです。子供が親を信じるのではありません。親の変わらぬ愛情が信じさせるのです。生徒が先生を信じるのではありません。先生の人格・人柄が信じさせるのです。私が仏を信じるのではありません。仏さまのまことの心・摂取不捨の心が信じさせるのです。仏よりいただく信心です。自分の心でつかんだものは、結果次第ですぐ崩れていきます。私が信じた信心はすぐ崩れますが、仏さまからいただいた信心は決して崩れません。それ故にどういう境遇になっても生き抜く力となり、生きる自信となるのです。信心とは私たちが仏さまををつかむことではなく、反対に手を離し仏さまにすべてをまかせることです。