2014.06.27 Friday
おまかせ
私は仏壇の前に座ったときやお念仏を申すとき、「阿弥陀さまにすべておまかせします。ありがとうございます」という気持ちでお念仏を称えています。これは阿弥陀如来が私たちを救うためにお念仏となり、「我にまかせよ」というよび声に応えているのです。この世は無常であり、一寸先は闇です。生死の問題や煩悩は人間の力ではどうにもなりません。どうにもならないことをどうにかしようとするのは人間の傲慢です。どうにかしようとするから苦しむのです。大いなるいのちの働きにまかすしかありません。人間の力ではどうにもならないことを仏が見抜き、お念仏となり「まかせよ」とよび続けていられるのです。まかすしかないのです。「これから先の人生は幸か不幸かしらねども、どちらになってもよろしいと確かな覚悟ができました」と言えるのは、まかせるものがあるから言えるのです。何事においても、まかせるものはあると安心です。仕事でも子育てでも、まかせる人がいると安心です。自分一人でやると疲れます。この人にまかせれば大丈夫という人が身近にいると安心です。嬉しいです。まかせるとは、信(疑いなき心)によりまかせられるのです。「あの人で大丈夫?」と疑いの心があるとまかせられません。まかせるとは、結果を問わないのです。まかしたからにはどちらになってもいいのです。それがまかすということです。阿弥陀如来は、人間の力ではどうにもならないことを見抜き、必ず救うために念仏となり「まかせよ」とよび続けていられます。自分のハカライを捨て、そのよび声に応えていきましょう。安心です。落ち着きます。このままの私でよかったと喜べます。