smtwtfs
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< April 2014 >>
profile
new entries
archives
recent comment
recent trackback
links
mobile
qrcode
others
無料ブログ作成サービス JUGEM
search this site.

仏の眼をいただく

 仏教を聞くとは、仏の眼をいただくことです。人間は自我の眼で(自我のメガネをかけて)、いつもあらゆるものを見ています。 自我の眼は自分の見たいようにしか見ていないのです。自我の中に閉じ込められている私たちは、自我を超えた世界が見えないのです。それ故日常生活の中で、自我のメガネをはずさなければいけないのです。自我のメガネをはずして見ると、全く違った世界が見えてくるのです。 お念仏が、我が身に届くとは、「念仏とは自我崩壊の音なり」と言われるように、自我のメガネをはずし仏の眼をいただくことです。人間の眼は他人の非がよく見えるが、仏の眼をいただくと自分の非が見えるようになり、いかに自分中心の狭い見方しかしてなかったことが知らされます。また「損か得か人間のモノサシ、嘘かまことか仏のモノサシ」とあるように、人間の眼は、損か得かという見方が根底にありますが、仏の眼をいただくと何が真実で、何が嘘かということが知らされます。ただし自我の眼は、はずすことができたとしても決してなくなりません。はずしたと思っていてもすぐにかけています。だからこそ仏教を聞き、仏の眼をいただかなければならないのです。念仏者とは、自我の眼と仏の眼の両方を身につけている人です。

at 02:08, 不死川 浄, -

comments(0), trackbacks(0), pookmark