2014.04.28 Monday
仏の眼をいただく
仏教を聞くとは、仏の眼をいただくことです。人間は自我の眼で(自我のメガネをかけて)、いつもあらゆるものを見ています。 自我の眼は自分の見たいようにしか見ていないのです。自我の中に閉じ込められている私たちは、自我を超えた世界が見えないのです。それ故日常生活の中で、自我のメガネをはずさなければいけないのです。自我のメガネをはずして見ると、全く違った世界が見えてくるのです。 お念仏が、我が身に届くとは、「念仏とは自我崩壊の音なり」と言われるように、自我のメガネをはずし仏の眼をいただくことです。人間の眼は他人の非がよく見えるが、仏の眼をいただくと自分の非が見えるようになり、いかに自分中心の狭い見方しかしてなかったことが知らされます。また「損か得か人間のモノサシ、嘘かまことか仏のモノサシ」とあるように、人間の眼は、損か得かという見方が根底にありますが、仏の眼をいただくと何が真実で、何が嘘かということが知らされます。ただし自我の眼は、はずすことができたとしても決してなくなりません。はずしたと思っていてもすぐにかけています。だからこそ仏教を聞き、仏の眼をいただかなければならないのです。念仏者とは、自我の眼と仏の眼の両方を身につけている人です。