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慈眼・智眼

 人間の眼は自我のメガネをかけ、いつも自分の見たいようにしか見ていないのです。仏さまの眼は、慈悲の眼と智慧の眼で見ていられます。仏さまの智慧の眼で見られると、私たちの愚かさ・恥ずかしさ・罪深さが見えてきます。 「キリスト教は、人間の善悪を厳しく規定する宗教であるのに対して、仏教は、人間の本性を問題にする宗教です。」 仏さまは智慧の眼で見ていられるから、人間の本性を知りつくしていられます。自我・我執や貪欲・瞋恚・愚痴の煩悩が無くならず、決して自力では救われないということを見抜いていられます。 その私たち煩悩具足の凡夫を必ず救うという働きが慈悲です。 「慈眼をもって衆生をみそなわすこと、平等にして一子の如し」とあるように、すべての人々を、比べず・分け隔てせず・差別せず、我が子の如く見られているのです。「そのままでいい」「みんなちがってみんないい」と、一人も見捨てず、暖かく見つめてくださっています。 私たちが智慧の眼に遇えば、「あれは嫌い、これは駄目だ、あいつは困る、こいつは・・・・と切り続ける。わたしはどうもハサミのようだ」という私の本性が見えてきます。私の本性が見えてきたら、この私を決して見捨てず必ず救うという慈悲が身に沁みてくるのです。お慈悲の温もりを感じるのです。

at 17:16, 不死川 浄, -

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