2012.10.28 Sunday
何故信じられないのか
何故信じられないのか? それは自分で信じようとするからです。信とは、自分で信じるものではない。相手の働きによって信じさせられるのです。自分の分別で信じたのであれば自分勝手に信じたのであり、思い込みです。結果が悪ければすぐ神も仏もあるものかということになります。 阿弥陀如来が「マカセヨ」とよびつづけていられるのに、我々はなかなか「ハイ」が言えません。いつもハカライ・疑いで心の蓋をしています。我々のハカライ・分別で信じることは出来ません。「蓋ある水に月は宿らじ」と言われるように、いくら月は照らし続けていても蓋をしていては水に浮かびません。同じように我々は疑いやハカライの蓋をしているので信じられないのです。「ハイ」が言えないのです。疑いもハカライも自分では決してなくすことは出来ないのです。阿弥陀さまの決して変わることのない真実心が、智慧と慈悲が、我々の疑いを破りハカライをとってくださるのです。そこで初めて「ハイ」と言えるのです。それゆえ阿弥陀さまの願いを聞きつづけなければいけないのです。