2011.07.28 Thursday
永遠のいのちを生きる
信心を得るということは、死なないいのちを生きるということです。永遠のいのちを生きるということであり、常住の世界を生きるということです。信を得る前は、自我の狭い見方しかできず、無常の世界を生き、生かされている命であることにも気づかず、淋しく死んでいく身であったが、信を得ると、我が破られ、いま煩悩をもったこの身のまま、阿弥陀如来の無量寿の世界に生かされていることに気づかせていただくのです。 まだまだ煩悩いっぱいの身ですから、死にたくはないし、安養の浄土は少しも恋しくないです。しかしこの世に縁尽きた時、名残惜しいですけど、安心してお浄土へ参らしていただくのです。