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悪人の自覚

  前回、阿弥陀如来の救いは、悪人でなければ救われない。善人は救われないと書きました。
ただ私が悪人であったと気づくことはとても難しいのです。しぶとい私たち、すぐに善人顔をして生きている私たち、「私も凡夫であるがあの人よりましだ」と、思っている私たち、自分で自分の顔が見えないように、自分では煩悩が見えないのです。自分の煩悩は、照らすものがなかったら見えないのです。仏の智慧の光に照らされなければ見えないのです。 「自分というものに光をあて、お知らせいただく そのほかに宗教というものがあろうか」(浅田正作)。「私自身が悪人である存在と、ふりかえる眼を失ったところに 今日の人間の底知れない不幸がある」(高史明」。「わが身は罪悪深重 煩悩具足の凡夫 これのみがたった一つの人間における真実である」(曽我量深)

at 00:42, 不死川 浄, -

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