2010.06.25 Friday
身にしみこむ
星野富弘さんに「私は傷を持っている でもその傷のところから あなたのやさしさがしみてくる」という詩があります。 きっと健康な時は、やさしさが身にしみこんでこなかったでしょう。病気になって不自由な身になって、あなたの変わらないやさしさが,身にしみこんできたのです。 同じように自分が善人と思っている時は、如来の慈悲は身にしみこんでこないのです。どこまでも煩悩の身であり、自力ではどうしてもたすからない凡夫(悪人)であると気づいた時、如来の摂取不捨の慈悲が身にしみこんでくるのです。これは理屈ではありません。この身が喜ぶのです。安心するのです。落ち着くのです。 浄土真宗の信心は、心の信心ではありません。身の信心です。この愚身に如来のまことが届くことを信心と言います。愚身の信心は、ただ念仏です。