2009.07.31 Friday
いのちの事実
親しい人や大切な人が亡くなると、「私たちはいったい何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」という人生そのものの問いが起こってきます。この問いには人間の知恵や知識、今まで積んできた経験など役に立ちません。この時こそ仏法に出遇う、いのちの事実に気づく機縁となるのです。 いのちは、無常するいのちであり縁起するいのちです。無常するいのちは、常に変化しているいのちであり必ず死んでいくいのちです。死ぬいのちを生きているからこそ、本当に生きる道を聞かねばならないのです。縁起するいのちは、生かされているいのちです。自分のものは何もない、すべておかげさまのいのちを生きているのです。生かされているいのちは、永遠のいのち、無量寿のいのちの世界に生かされているのです。滅びのいのちが、永遠に滅びのないいのちに生かされているのです。そして永遠に滅びのない無量寿の世界に生まれるのです。