2008.10.29 Wednesday
自帰依自灯明
お釈迦様の最後の説法に「自帰依自灯明、法帰依法灯明」という教えがあります。いつもそばにいた阿難尊者が、「もしお釈迦様が亡くなられたら私たちは誰をよりどころにすればいいですか」という問いに答えられたのです。仏教とは他人をよりどころにするのではなく、自らをよりどころとし、自らを灯明とするのです。そして法をよりどころ灯明とし、他のものをよりどころとしてはいけないと教えられています。すなわち法を生きるよりどころ、支え、土台として自立して生きることを教えているのです。これが仏教です。
浄土真宗では阿弥陀仏の本願、念仏を支えとして、自立して生きることを教えています。仏の大地に立って力強く生きていくのです。ところが法帰依(阿弥陀仏の救い)だけを強調して自帰依自灯明を説くことを忘れているように思います。自帰依を忘れると生活とは関係ないことになります。自分を抜きにして法を聞いても生きる力になりません。他力本願とは、阿弥陀仏が「私が必ずあなたに生きる支え、土台、大地となるから、自らの足で立ち上がって力いっぱい生きてください」と生きる自立を教えているのです。
浄土真宗では阿弥陀仏の本願、念仏を支えとして、自立して生きることを教えています。仏の大地に立って力強く生きていくのです。ところが法帰依(阿弥陀仏の救い)だけを強調して自帰依自灯明を説くことを忘れているように思います。自帰依を忘れると生活とは関係ないことになります。自分を抜きにして法を聞いても生きる力になりません。他力本願とは、阿弥陀仏が「私が必ずあなたに生きる支え、土台、大地となるから、自らの足で立ち上がって力いっぱい生きてください」と生きる自立を教えているのです。