2008.09.29 Monday
愚身の信心
歎異抄の第二章に「愚身の信心はかくのごとし」とあります。愚心の信心ではなく、愚身の信心です。心ではなく身です。わが身が念仏を喜ぶのです。心はコロコロと変わるし嘘をつくが。身は嘘をつきません。わが身の事実を引き受けるのです。無明煩悩がみちみちているわが身を、あさましき罪業の我が身を引き受けるのです。煩悩具足の凡夫の身と聞いただけではわからない。それをわが身に問い、思案し引き受けた時、身の事実がうなづかせるのです。頭や心の勝手な解釈ではなく、ごまかしようのない身の事実が念仏を喜ぶのです。わが身が念仏を選んだのです。いままで頭や心を問題として、身ということを問題にしていなかったように思います。だから生きる力にならなかったのです。身を抜きにして仏教は語れません。教えが生活の中に生きてなかったり、身についてなかったら生きた教えとは言えません。