2007.04.28 Saturday
そのままの私を認める
私の内にある汚い心、醜い心、恥ずかしい心が無くなって救われるのではない。そのままの救いです。私たちはすぐにその心を、無くそう無くそうと計らうから、救われないのです。一見その心を無くそうと努力することは貴いことのように思いがちですが、闇を深めるのです。特に若いときは、そういう自分を認めたくないです。「こんな私は嫌いだ、許せない」と否定しようとします。そういう自分が受け入れられなくて、ずっと不安を抱えています。その思いが強くなれば自己嫌悪に陥ります。自分の欠点が認められないのです。だから苦しいのです。しかし仏に遇い、光に照らされていることに気づくと、「ああ本当に恥ずかしい私であった」とそのままの私を認めることが出来るのです。と同時に光に抱かれてていることに気づきます。私たちは煩悩を無くそうといくら努力しても無くならないのです。そのままの私を認めるしかないのです。ただ自分では煩悩に気づかないのです。照らす光、働きがなかったら気づけないのです。それゆえ仏の教えを聞かなけばならないのです。