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自我を超える

 仏教は、我を離れて生きていこうという教えです。我があれば真実に出遇えないからです。しかし私たちはつねに自我中心に生き、自我の満足を求めて生きています。自我とは思い通りにしたい心であり、思い通りにならないことを苦しみといいます。本来はいのちの事実は無我であるが、人間は我によっていのちを私有化し、実体化し、執着し、自他の対立をし、いろいろな苦しみを生じています。我こそが諸悪の根源と言っていいでしょう。仏教では厳しい修行をし、煩悩を断ち、我を超えて真理に覚めていこうという教えもありますが、私のような我の強い煩悩いっぱいの人間にはとうてい無理な教えです。死ぬまで我は無くなりません。そういう私たちのために、真理(如)の方から来て、そのままの私をそのまま抱きとって、いつも支えてくださる方があるんです。その方を阿弥陀如来といいます。いつも南無阿弥陀仏となり、阿弥陀仏(われ)に南無せよ(まかせよ)と喚(よ)び続けていられます。この人生思い通りになりません。思い通りにならないから、思い通りにならない時こそ、私たちの口からナンマンダブツと称えさせ、お出ましになってくださっているのです。いつ自我中心に生きている私が私であることが許されて生かされているのは阿弥陀さまのおかげなのです。自我とともに真実への道を歩まさせてくださるのです。

at 19:28, 不死川 浄, -

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