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お母さんが一緒

 先日の『本願寺新報』に掲載されていた、「報恩講によせて」の法話はとても分かりやすく興味深かったです。「私たちは本来孤独であって、みんなひとりで生まれて一人で死んでいくのだけれども、どんな時もアミダさまがご一緒です」。 「アミダさまとご一緒」というよりも、「アミダさまがご一緒」なのですと教えられ、テレビで「おかあさんといっしょ」という番組があるが、「お母さんと一緒」と言った時と、「お母さんが一緒」と言った時の違いを述べて説明されていました。「お母さんと一緒」という言い方は、「私がお母さんと一緒に居る」という意味で、私が主人公の話で、私から出発する話ですから、私がお母さんと一緒に居たくて居る感じがします。それに対して「お母さんが一緒」という言い方は、「お母さんが私と一緒に居てくれる」という意味で、お母さんが主人公の話で、お母さんから出発する話です。私がお母さんを忘れていても、お母さんは私を忘れることなく一緒に居てくださるわけです。同じように、「アミダさまとご一緒」というのは、「私がアミダさまとご一緒する」という意味で、私が主人公の話で、私から出発する話です。しかし「アミダさまがご一緒」というのは、「アミダさまが私とご一緒下さる」という意味で、アミダさまが主人公の話で、アミダさまから出発する話です。ではなぜアミダさまはご一緒くださるのでしょうか。それは私たちがさびしい命を生きているからです。人はみな、死ぬ時はたった一人です。今まで支えにしていたもののすべてが、私を見放します。また生きている今、たった一人になることもあります。あらゆる支えを失って、自分で自分を見捨ててしまうような気持になることもあります。しかし、たとえ世の中の全てに見放されたとしても、自分で自分を見捨てるようになったとしても、アミダさまだけは私を見捨てることなくご一緒くださるのです。と述べられていました。

at 15:39, 不死川 浄, -

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