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いのちはどこに帰るのか

 大きい川も小さい川も長い川も短い川も、きれいな川も汚い川もどんな川も、みな平等で分け隔てのない一味なる海に帰ります。私たちのいのちも同じです。生前中は一人一人みな違います。顔も性格も才能も命の長さも違いますが、一味で分け隔てのない平等で広大な無量なる寿(いのち)の世界である仏の大海(浄土)に帰るのです。これは自然の法則です。私たちは無量の寿、永遠の過去のいのちを受け継いで、直接には父と母を縁としてこの世に生まれました。遺伝子は受け継いでいますが、人格は一人一人みな違います。私は最近無性に考えます。何故この世に人間として、男として、この時代に、この地に生まれて来たのかということを。私たちは自分の意志で生まれたのではないですが、縁あって生まれたいのちをそれぞれ精一杯生き抜かねばなりません。そして生まれた命は長い短いの違いはありますが必ず死にます。それはこの世の法則であり真理です。しかし人間は常に自我中心に生きはからい真理に背いて生きているから、安心して帰る処を見失っています。人間の知性ではどんなに考えてもわかりません。それ故に真理の方から念仏となり「我にまかせよ、必ず救う」とよび続けているのです。人間のはからいを捨て、真理の声にまかせればいいのです。そうなればいつどこでどんな死に方をしようとも問題ないのです。いまいただいているいのちを精一杯生きるだけです。

at 22:38, 不死川 浄, -

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