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気づくということ

 気づくということは、自分で気づくのではない。必ず気づかしてくれるはたらきがあるから気づくのです。いろいろなご縁があって気づくのです。問題意識を持っていたりアンテナを張っていると、突然ハッと気づかせてもらうこともよくあります。念仏を称えることも、自分が称えるのではない。称えさせるはたらきがあるから称えるのです。自分の口から称えるのですが、阿弥陀如来のはたらきによって称えさせてもらっているのです。念仏を称えることは人間の行(仕事)ではなく仏さまの行(仕事)なのです。親鸞聖人は「非行非善なり」と厳しく教えられています。すなわち念仏を称えることは人間がする行でもなく善根でもないのです。『歎異抄』第一章に「念仏申さんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたもうなり」とあるように、念仏を称えようという思いの起こるとき、ただちに光明(ひかり)のうちに摂(おさ)め取って捨てられないというご利益をいただくのです。阿弥陀如来が、念仏となり「我が名を称えてくれ、必ず救う」とはたらき続けていられるのです。念仏を称えて生きていきましょう。

at 17:07, 不死川 浄, -

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