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私の悲しみを知る

 ベルギーのアドリアン・ペール博士は「仏法が届いている人と届いていない人の違いは、私の悲しみが見えているかどうかです」と話されていました。いくら仏法を長年学んでも、聞いても、私の悲しみが知らされなければ、まだ仏法が届いていないのです。仏法が届かなければ生きる喜び生きる力となりません。理性や道徳では私の悲しみは見えません。仏の光に照らされなければ我が身の悲しみや恥ずかしさは見えないのです。親鸞聖人の一貫した立場は、どこまでも煩悩具足の凡夫であると我が身を悲しまれていました。私の悲しみが知らされなければ、仏さまの悲しみが身に響いてこないのです。悲しみと悲しみの共感です。悲しみは悲しみを知る仏さまの悲しみに救われるのです。「大悲あるが故に生きるを得たり」です。私の悲しみを知ることは、目覚めです。救いです。「自分がかわいい、ただそれだけで生きてきた。それが深い悲しみとなったとき違った世界がひらけてきた」(浅田正作)

 

at 14:05, 不死川 浄, -

comments(1), trackbacks(0), pookmark

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さやえんどう, 2018/11/18 8:10 AM

とても共感します。己はいかに愚であるか、いかに小さいかを自覚してなければそこには学びもなく、こころの進化もなく。単に奢りの生き物にならぬ様に丁寧に生きていたいです。










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