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身につく

 いくら仏法を学んでも、いくら長く聴聞しても、身についていなければ仏法が生きる力、生きる支えになりません。頭でわかっていても実際行うと出来ないことは多いです。それは身についていないからです。一度身につくと身体は忘れないものです。煩悩は教えてもらわなくても学ばなくても、縁次第で嘘や悪口や陰口を言っています。それはもともと身についているからです。煩悩は無くなりません。そのために阿弥陀さまは休むことなく私たちを救おうと、心のドアーをノックし続けてくださっているのです。煩悩具足の凡夫で救われない私と知らされると固い心のドアーが開くのです。ドアーが開くと阿弥陀さまが身につき、煩悩と一緒に同居してくださるのです。「わが胸に鬼と仏が同居して、角を出したり手を合わせたり」です。念仏者の救いは、慚愧(ざんぎ)と歓喜(かんき)がワンセットです。恥ずかしい、おかげさまの日暮しです。この歩みこそ真実への道を歩む人生です。

at 17:34, 不死川 浄, -

comments(1), trackbacks(0), pookmark

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R, 2018/07/12 12:03 AM

心の支えにしたいと思って、仏法を学びはじめました。仰るとおり、頭でしかわかっていないのです。心の中で感じることはできてはいません。まだまだです。身についてはいないのです。それでも、あきらめず聞法を続けていこうと思います。










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