smtwtfs
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< August 2019 >>
profile
new entries
archives
recent comment
recent trackback
links
mobile
qrcode
others
無料ブログ作成サービス JUGEM
search this site.
<< まったく私なし | main | 身につく >>

信心の社会性

 信心に社会性、公共性がなかったら、浄土真宗の信心とは言えません。信心は自分が信じるものではありません。阿弥陀如来の本願により生ずるものです。本願は苦悩の有情を救うために、一切衆生を救うために起こされたものであり、もし救えなかったら私は仏にならないと誓われています。この本願よりいただいた信心は、私一人の救いという自己の閉鎖性の壁を破るものであり、朋に救われていこうとするものです。社会性、公共性がなかったら、独りよがりの信心に陥ってしまいます。ただ信心獲得するには、「親鸞一人がためなり」「往生は一人のしのぎなり」と言われるように、一人のしのぎによって得るものです。親鸞聖人も多くの妙好人も信心を得るまでには、とても厳しいしのぎがあったことでしょう。問題はそのしのぎによって得た信心の内容です。信心は私一人の問題で他の人には関係ないというものではありません。それは間違った信心理解です。それがいつのまにか自分だけの救いにとどまり社会性、公共性を失うものとなってきたのです。信心を得た喜びを多くの人に伝えていかねばなりません。とくに苦悩している人々に、如来の大悲を伝えていかねばなりません。それが信心の社会性です。

at 19:00, 不死川 浄, -

comments(0), trackbacks(0), pookmark

comment









trackback
url:http://myokyoji.jugem.jp/trackback/864