smtwtfs
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>
profile
new entries
archives
recent comment
recent trackback
links
mobile
qrcode
others
無料ブログ作成サービス JUGEM
search this site.
<< チベット死者の書 | main | 煩悩具足 >>

我を破る

 「自我・我執オレと一生つきあう相手」「またしても私、私という私、八十路を超えたいまとなっても」と言われるように、死ぬまで人間にとって「我」はなくなりません。我が身が一番かわいいし、どこまでも自分中心に生き、自我のメガネをかけて生きています。苦しみとは、我が思い通りにならないことであり、人間は人に負けたくない、少しでもよく見られたい、バカにされたくない、誉められたい、死にたくないとか「我を張って」生きています。我がすべての苦しみの元なのです。この厄介な我というものを、いかに始末するかということが宗教の根本問題です。死ぬまで我は無くなりませんが、我は破られるのです。我が破られなければ救いはないのです。虚しく寂しく死ぬだけです。仏教は我を破る教えです。しかし我というものは自分の力ではどんなに頑張っても破れないのです。阿弥陀如来の力によって初めて破れるのです。卵の殻が、親に抱かれ、温められ、育てられて割れるように、阿弥陀さまの慈悲と智慧のはたらきにより我が破れるのです。我が破れ阿弥陀さまが私の中に入ってきてくださることが信心です。私の中に同居して、我の無くならない私をいつも支え続けて浄土への道を歩まさせてくださっているのです。

at 14:52, 不死川 浄, -

comments(2), trackbacks(0), pookmark

comment
R, 2018/06/14 9:10 PM

仰られることとてもよくわかります。でも我を破ることはとても難しいと感じます。
まだまだ信心が足りないのですね。

不死川浄, 2018/06/15 12:49 AM

信心は自分の方から信じることはできません。私が信じるのではありません。阿弥陀さまが信じさせてくださるのです。阿弥陀さまのよび声を素直に聞くだけです。すると何度も何度も我が破られていくのです。難しいと思わなくていいのです。










trackback
url:http://myokyoji.jugem.jp/trackback/859