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念仏を称える

 心を込めて念仏を称えるのではない。一生懸命念仏を称えるのではない。数多く念仏を称えるのではない。それは人間のハカライです。念仏は救いの手段ではない。念仏を称えて善根や功徳を積むのではない。念仏を称えるとは、我がハカライにあらずです。もちろん私の口から念仏を称えるのですが、阿弥陀さまが称えさせてくださっているのです。子供が「おかあさん」と呼ぶことと同じです。赤ちゃんが「おかあさん」と呼ぶまでに2・3万回は聞いているそうです。お母さんが呼ばせているのです。お母さんの愛情が「おかあさん」という名にすべてを込めて赤ちゃんに呼びかけ、それに応えているのです。子供は、寂しい時、悲しい時、辛い時、もちろん嬉しい時も「おかあさん」と呼んでいます。同じように私たちも、寂しい時、悲しい時、辛い時、もちろん嬉しい時も、時や場所を選ばず念仏を称えます。「いつも一緒だよ」「どんな時もあなたを支えるよ」「必ずあなたを救うよ」とよびかけられているよび声に応えているのです。念仏は阿弥陀さまの名のりです。わが弥陀は名となって私たち凡夫を救ってくださっているのです。阿弥陀さまが汚い私の口からお出ましになっているのです。これでしか凡夫は救えないと見抜かれたのです。念仏を称えることが阿弥陀さまの願いに順ずることなのです。

at 20:22, 不死川 浄, -

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