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まったく私なし

 私が仏さまを信じるのではありません。私が念仏を称えるのではありません。仏さまが信じさせてくださるのです。仏さまが念仏を称えさせてくださるのです。まったく私なしです。私が入っていれば浄土真宗の信心でも念仏でもありません。自分勝手な信心であり念仏です。すべて阿弥陀さまのはたらきによる信心であり念仏なのです。何故かというと阿弥陀さまが、自我・我執が無くならない人間の器量を見抜かれているからです。私自身本当に自我にとらわれることが多いです。たとえば車に乗っている時、狭い道で対向車が来た時、私が避けてあげると「私がしてあげた」という気持ちがどこかあります。そのようなことが日常生活の中で多くあります。自分が「ええもん」になりたいという根性は無くなりません。若いころより、そういう気持ちは無くなってきたと思っていましたが、阿弥陀さまの心に触れるたび、誤魔化さず気づかされるようになってきました。そういう私たち煩悩いっぱいの凡夫を無条件で救うために、阿弥陀さまの心が私の中に届くことが信心であり、阿弥陀さまのよび声が私の口から出てくださることが念仏です。信心も念仏も自分の我は入っていないのです。まったく私なしです。昭和を代表する日本画家、東山魁夷さんの言葉です。「自分の我があったら、本当に美しい絵は生まれません」

at 14:21, 不死川 浄, -

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