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マカセヨ、ハイ

 阿弥陀如来は、苦悩の有情を救うにはただ念仏しかないと見抜かれて、私たちに「我にまかせ、必ず救う」と念仏となり絶えずよび続けていられます。このよび声が我が身に届き「ハイ」と応えることが信心であり、救われるということです。しかしなかなか「ハイ」とはいえません。「マカセヨ、ハイ」の間に「疑い」があるからです。疑いが晴れなければ「ハイ」とは言えません。「疑い晴れたが信心です」。どうすれが疑いが晴れるのか? それには阿弥陀さまがなぜ念仏となられたのかという願いと、私たちが生死の苦海に久しく沈んで、自力では救われないという事実を知らなければなりません。たとえば台風で川が氾濫して住人が木につかまり助けを求めている時、救急隊員が救命ボートで助けに行き「我にまかせ、必ず救う」と手を差しだせば、かならず「ハイ」というでしょう。自力では救われない、「まかす」しかないという事実を知っているからです。同じように阿弥陀さまの「我にまかせ」というよび声に「ハイ」と応えていけば必ず救われるのです。安心、喜びが生まれるのです。「生死の苦海ほとりなし 久しく沈める我らをば 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せて必ず渡しける」(親鸞聖人)

at 00:41, 不死川 浄, -

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