2010.04.21 Wednesday
「見える世界」「見えない世界」
現代人は、眼に見える世界しか信じない人が多くなってきました。それが今日の不幸を招いていると言ってもいいでしょう。実際は見えない世界に支えられ、生かされているのです。「見えないもの」という東井義雄先生の詩があります。「見えないところで見えないものが 見えるもの見えるところを 支え生かし 花を咲かせ実をみのらせている それは植物の世界だけのことではない」
花が咲くということは、眼に見えない無量のいのちに支えられて咲いているのです。私たちが今生きているということは、無量のいのちに支えられ生かされているのです。現代人は特に見える世界しか気づかないから思い通りにならないと苦しむのです。真実のいのちに背いているのです。それ故、真実のいのちの世界、無量寿の世界から、「真実の世界に帰依せよ」と、いつも南無阿弥陀仏とよびかけているのです。
花が咲くということは、眼に見えない無量のいのちに支えられて咲いているのです。私たちが今生きているということは、無量のいのちに支えられ生かされているのです。現代人は特に見える世界しか気づかないから思い通りにならないと苦しむのです。真実のいのちに背いているのです。それ故、真実のいのちの世界、無量寿の世界から、「真実の世界に帰依せよ」と、いつも南無阿弥陀仏とよびかけているのです。