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超我の奉仕

 超我の奉仕とは、我を超え、我をなくして奉仕に努める無償の奉仕ということです。簡単に言えば「自分がしてやった」という思いを捨て奉仕することです。布施ということは、施しをすることですが、相手のためにするのではなく自分のためにするのです。物を持てば物に、お金をもてばがお金に執着します。その執着を捨てる行です。施しをしたほうが「ようこそこの行をさせていただきました」と礼を言うのです。奉仕もボランティアも、相手のためにするのではなく、自分のためにするのです。そのことがより自分の人生を豊かにするのです。ちなみに人の為と書いて偽(ニセ)とよみます。ある小学生の詩に「お母ちゃん、すぐにお前のため、お前の為というが、自分のためや」とあるように、人の為と言いながら、自分の都合でしていることが多いです。相手のためにしてやっているという思いが強ければ、思い通りにならなかったときは、愚痴や怒りや憎しみへと変わります。よく「恩を受けたことは石に刻み、恩を与えたことは水に流せ」と言われますが、実際は逆のことが多いです。恩を受けたことは忘れ、恩を与えたことはいつまでも心の帳面につけています。相手の出方次第では愚痴や憎しみとなり怒りの炎を燃やしています。「雑毒の善」といわれるように、私たちがしている善を見つめると毒が雑っていることが多いです。善根を積んだつもりが反対に地獄行きの種をまいているのです。仏法を聞くとは、仏の真実に照らされ、自己の本当の姿が知らされてくるのです。と同時に仏の真実が我を破ってくださるのです。

at 17:18, 不死川 浄, -

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