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自己を習う

 道元禅師に「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。」という有名な言葉があります。仏道を習うとは自己を習うことです。自己を習うとは、自己を知ることです。今まで気づかなかった自己に気づくことです。ソクラテスの「汝自身を知れ」ということです。人間はどこまでも自己中心に生きているから、他人のことは見えても自分のことは見えないものです。仏の教え、仏の光に照らされなければ自己の本当の姿は見えません。親鸞聖人は仏の光に照らされた自分自身を「罪悪深重、煩悩具足の凡夫」「生死の苦海に久しく沈んでいる私」「悪性さらにやめがたい私は地獄が私の住処です」「愛欲の広海に溺れ沈み、名利の大山に迷い惑っている」「縁次第で何を思い何をするかわからない私」と告白されています。私たちも同じ煩悩いっぱいの凡夫です。仏道を習い、自己を習い、自己を忘れることにより気づかされてくるのです。阿弥陀如来は、私たち凡夫が久しく生死の苦海に沈み、自力では救われないことを見抜かれているから念仏となり「我にまかせ」よび続けて下さっているのです。まだ自分を知らず、自分の力を頼って、自己にとらわれ自己を忘れていないから、仏の声が聞こえないのです。我が身に響かないのです。「マカセ」という真言に「ハイ」と言えないのです。しかし仏の光に照らされ、救われない我が身に気づくと、「マカセ」という真理の言葉が我が身に沁み込み「ハイ」と言わざるを得ないのです。「救われぬ身に沁みわたる弥陀の声」です。歓喜の叫びです。

at 20:42, 不死川 浄, -

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