smtwtfs
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>
profile
new entries
archives
recent comment
recent trackback
links
mobile
qrcode
others
無料ブログ作成サービス JUGEM
search this site.
<< 私として生きる | main | 自己を習う >>

お盆のお話

 今年もお盆がやってきました。お盆の行事は『盂蘭盆経』が由来とされています。『盂蘭盆経』には、お釈迦様の十大弟子の一人である目連尊者が神通力で亡き母を探したところ、餓鬼道に堕ちて苦しんでいる母を見つけ救おうとするが自分の力では救うことができず、お釈迦様の言葉通りに安居の最後の日にあらゆる比丘に供養をすると、母にも供養の施物が届き救われたということが説かれています。この話で大切なことは、なぜ目連の母は餓鬼道に堕ちていったのかということです。結果があるということは必ず原因があります。その原因とは、我が子可愛さから罪を作っていったということです。子供が可愛いというより我が子なんです。どの親も同じでしょう。自分では気づかないうちに我が子可愛さから他の人を傷つけ多くの罪を作っています。もっと言えば我が身可愛さです。人間は自我中心に生きいろいろな罪を作っています。私たちは日日気づかないうちに、地獄行きの種をまいています。善いことをしてもそれにとらわれ、良い結果が返ってこなかったら相手を責め裁き愚痴をこぼしています。要はそれが見えるか見えないかです。仏法に遇えば日々地獄行きの種をまいている私が知らされます。親鸞聖人は「地獄は一定すみかぞかし」と述べられています。浅田正作さんの詩に「己の地獄の発見、そこから仏法は始まる。この地獄深くして底なし、ここから真の人生が始まる」「交差点にかかったら信号が黄色にかわった。ブレーキを踏みながらチクショウといった。あさましや畜生は仏法聴聞に行く車の中にいた」とありました。地獄行きの我が身が見えてくると、仏さまのお慈悲の言葉が身に沁みてきます。

at 18:20, 不死川 浄, -

comments(0), -, pookmark

comment