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仏法は無我にて候

 東山魁夷氏の言葉に「自分の我があったら、本当に美しい絵は生まれないのです」とあるように、信心も念仏も自分の我があったら、信心でも念仏でもないのです。私が信心するのではありません。私が信じた心は、都合が悪くなればすぐ崩れます。すぐにころころと変わります。信心とは私が信じるのではなく仏さまのまことの心が、我を破り信じさせてくださる心です。念仏も私が称えているのですが、仏さまが称えさせ、仏さまが私の口から出てくださっているのです。蓮如上人は「仏法には無我にて仰せられ候。われと思うこといささかもあるまじきことなり」と教えてくださっています。人間はどこまでも自我中心に生きています。我とは思い通りにしたい心であり、我がいつも真理に背き、逆らい、苦しみを生んでいるのです。我が救いの障害となっているのです。いささかも我があれば救われないのです。この厄介な我というものを、いかに解決するかということが仏教の根本問題です。偉大な芸術家たちは、そのものの美に捉えられ、そのもののいのちの叫びを聞き作品を描いているように、真理からのよび声を聞いていくのです。私たち凡人でも救われるように南無阿弥陀仏の念仏となり「我にまかせ」とつねに叫び続けていられるのです。念仏に遇うと我が破れ、仏さまが私の中に入り、いつも仏さまが一緒に生きてくださるのです。

at 19:35, 不死川 浄, -

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