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往生おめでとうございます

 先日、樹木希林さんが75年の生涯を閉じられました。病気になられてからも、老いてからも、与えられたことを受け止め、多くの人に心に響く言葉を残していかれました。「生きるも日常、死んでいくことも日常。死は特別なものとして捉えられているが、死ということは悪いことではない。そういうことを伝えていくのも一つの役目かもしれない」「年をとることは本当に面白いもの。年をとるというのは絶対面白い現象がいっぱいある。だから若い時にはできなかったことを、一つずつ面白がって欲しいの。受け止め方を変えることで素晴らしいものに見えてくる」「人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくのです。その不自由さを何とかしようとするのではなく、不自由さをおもしろがっていく、それが大事なんじゃないかと思います」 彼女の生きざまは念仏者のようでありました。仏教系の高校を出て、築地本願寺で結婚式を挙げられています。仏縁があったことだと思いますが、彼女の素晴らしさは、見事に言葉通りに生き抜いたことです。多くの人が最後のコメントに「冥福を祈ります」と書いていましたが、彼女には冥福を祈る必要はありません。念仏者に送る言葉である「ご往生おめでとうございます」という言葉がもっともふさわしいような気がします。合掌

at 16:28, 不死川 浄, -

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祈りなき宗教

 仏教とは本来祈りなき宗教です。真理に目覚めた人(覚者)の教えを聞き、実践していく教えです。仏さまに合掌することは、真理へと正しく導いてくださるお釈迦さまに敬意を表し、尊敬と感謝することです。浄土真宗は自力で覚ることができない私たちのために、真理即ちありのままの世界(如)から(来)てくださった阿弥陀如来の願いを聞き、阿弥陀如来にすべてをまかす教えです。私たちの方から願ったり、祈ったりするのではありません。私たちが願うより先に、私たちを救おうとはたらき続けてくださっているのです。その阿弥陀如来の願いを聞き、智慧と慈悲のはたらきに救われていくのです。本当のことは、自ら求めて得るものではなく、向こうから、真理の方から来て、気づかせ、めざめさせてくれるのです。私たちが願う前からはたらき続けている阿弥陀如来の願いを聞いていきましょう。

at 22:18, 不死川 浄, -

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ご縁の中で

 人はそれぞれご縁の中で生きるしかないのです。まず私たちは不思議なご縁でこの世に生まれてきました。生まれた環境やもって生まれたものもそれぞれ違います。いただいたご縁を生かしていくしかないのです。どういうご縁に育てられたか、どういうことに出会い、どういう人たちと出会ったかにより人格形成ができてきます。その中でそれぞれご縁の中でどういう学びや経験を積み決断をしてきたかによりさまざまな人生があります。また不思議なご縁で伴侶に会い夫婦となり子供を授かっていきます。毎日の日常生活でも縁一つで喜んだり、悲しんだり、苦しんだり、怒ったりしています。縁一つでどういう行動をするかわかりません。そして最後は自分の意志に関係なく、どういうご縁でこの人生を終えるかわかりません。長命か短命か、病死か事故死か天災死かわかりません。ご縁次第です。自分という存在を知り、いのちの事実を知らねばなりません。そうすると大きないのちのはたらきにまかすしかないのです。仏さまは「我にまかせ、かならず助ける」とはたらき続けていられます。まかすものに遇えば、どういう状況になろうとも、どっちに転んでも大丈夫といえる人生を歩めるのです。

at 03:58, 不死川 浄, -

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海にまかす

 旅の途中、久しぶりに海で泳ぎました。泳ぎ着かれて、しばらく仰向けになり海にまかせて休んでいました。沈まないものです。少しも力まず、はからわず、海にまかせていました。沈むのは、力を入れ、ハカライ、海にまかせていないからです。その時、阿弥陀さまに「まかす」ということもこういうことだなと感じました。阿弥陀さまは「我にまかせよ、必ず救う」とお念仏となりいつもよび続けていられます。私たちは、そのよび声を聞かず、自分のはからいで歪め、疑い、拒否続けていないでしょうか。海にまかせていると、波によってあちらこちらと動いていきます。波とは縁です。私たちの心は縁次第によって、あちらこちらと動いていきます。怒ったり、喜んだり、悲しんだりします。そのとき、お念仏が心の状態を気づかせてくださり、安心できる居場所を取り戻させてくださいます。海にまかす、阿弥陀さまにまかすとは、仏の大地に樹(た)って生きることです。眼に見えない仏の大地に樹てば、どんな状況になっても安心して生きることができます。まかすものがあれば、どっちに転んでも安心です。

at 02:19, 不死川 浄, -

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海にまかす

 旅の途中、久しぶりに海で泳ぎました。泳ぎ着かれて、しばらく仰向けになり海にまかせて休んでいました。沈まないものです。少しも力まず、はからわず、海にまかせていました。沈むのは、力を入れ、ハカライ、海にまかせていないからです。その時、阿弥陀さまに「まかす」ということもこういうことだなと感じました。阿弥陀さまは「我にまかせよ、必ず救う」とお念仏となりいつもよび続けていられます。私たちは、そのよび声を聞かず、自分のはからいで歪め、疑い、拒否続けていないでしょうか。海にまかせていると、波によってあちらこちらと動いていきます。波とは縁です。私たちの心は縁次第によって、あちらこちらと動いていきます。怒ったり、喜んだり、悲しんだりします。そのとき、お念仏が心の状態を気づかせてくださり、安心できる居場所を取り戻させてくださいます。海にまかす、阿弥陀さまにまかすとは、仏の大地に樹(た)って生きることです。眼に見えない仏の大地に樹てば、どんな状況になっても安心して生きることができます。まかすものがあれば、どっちに転んでも安心です。

at 02:19, 不死川 浄, -

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旅を終えて

 今年もお盆過ぎに、お休みをいただいて北スペインと南フランスを旅してきました。例年のごとく往復の飛行機のチケットのみ予約して、現地で宿を探し自由気ままな旅でした。まず北スペイン、ラスク地方のビルバオに行きレンタカーを借り、反戦のシンボルになっているピカソの絵で知られるゲルニカと周囲の町を回り、美食の町と言われるサンセバチャンに行きました。夜の8時半ごろに見た夕陽はとても綺麗でした。サンセバチャンから列車で、ワインで有名なボルドーに行きました。ボルドーは世界遺産の町であり、とても落ち着いた美しい町でした。そこから深夜バスで10時間かけてニースへ行き、ニースから列車でアビィニヨンとゴッホゆかりのアルルとサン・レミ・ド・プロバァンスを回って帰ってきました。快晴に恵まれ何のトラブルもなく、歴史と文化を学ぶとても楽しい旅でした。寂しいですがどんな楽しい旅も必ず終わりが来ます。人生そのものです。やはり帰る処があると安心です。来年はどこに行こうかともう思案しています。

at 10:50, 不死川 浄, -

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見えない世界

 私たちの生きている世界は、「見える世界」と「見えない世界」の二重構造によって成り立っています。見える命は、見えない無量の寿(いのち)に生かされています。相田みつをさんの詩に、「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだなあ」とあるように、見えるものは、見えないものに、支えられ生かされています。大事なものは目に見えないのです。しかし現代では、合理的思考により、見えるものだけ大切にして、見えないものの大切さを忘れてきました。その結果、我欲の満足を求め、ますます自我が肥大化してきました。自我とは思い通りにしたい心です。しかし現実は思い通りになるはずはありません。苦しくなり自我の満足を求め宗教やいろいろな教えに救いを求めようとするのです。見える世界で自我の満足を求めている限り、安心やいのちの満足はありません。見える世界を生きる支えにするのではなく、見えない世界を生きる立脚地とするのです。自我を超えた、見えない世界である「仏の大地」に立って生きるのです。仏の大地に立てば、思い通りにならなくても、いのちが満足するのです。井の中の私で生きるのではなく、仏の大海があることに気づき、仏の大海に向かって生きるのです。

at 22:50, 不死川 浄, -

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命より大切なもの

 星野富弘さんの詩に「命が一番大切だと思っていた頃 生きるのが苦しかった 命より大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」とあります。「お金と命どちらが大切か」と聞くと、ほとんどの人は命が大切というでしょう。その命より大切なものとは何でしょう? 世間(娑婆)の価値観では健康が一番であり、役に立つのが良いし、上下、損得、優劣、善悪という物差しで見ています。星野さんは寝たきり状態です。世間の価値観で見ると、生きるのが苦しいのは当然です。星野さんは世間(娑婆)の価値観、我を超えた世界があることに気づかれたのです。見える命は見えない寿(いのち)に生かされています。どんな大きな樹も見えない根に支えられているように。我を超えた、無量の寿の世界は、上下、損得、優劣、善悪という物差しはありません。健康が一番ではありません。比べなくていい世界です。その人がその人のままいのち輝く世界です。小さきは小さきままに、病人は病人のままに。我を超えた、命より大切なものがあることを知れば、生きているのが嬉しくなるのです。

at 17:08, 不死川 浄, -

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思い通りにならない

 人生とは思い通りにならないものです。思い通りに行ったと思っていても、いつ何が起こるかわかりません。こんなはずではなかったと悔やむこともよくあります。私自身思い通りにいかないことばかりです。人間は自我中心に生きていますから、みな思い通りにしたいと思って生きています。そして思い通りにならないから苦しいのです。思い通りにしようという心が苦しみを生んでいるのです。老・病・死の苦しみも、そのまま受け止めれば苦しみではないが、老いたくない、病になりたくない、死にたくないと事実を受け止められず、思い通りにならないから苦しいのです。お釈迦様は「人生は苦」と教えられています。苦の解決が仏教の目的です。阿弥陀如来という仏さまは、苦しんでいる人間を救うために「ナンマンダブツ」という念仏となり私たちの口からお出ましになってくださっています。思い通りにならず、苦しいければ苦しい時ほど「ナンマンダブツ」とお出ましになり、「ナンマンダブツ」と申させてくださるのです。思い通りにならないおかげで、「ナンマンダブツ」とお出ましになってくださっているのです。

at 17:13, 不死川 浄, -

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いつも一緒

 信心をいただくとは、阿弥陀さまが私の中に同居し、いつも阿弥陀さま(南無阿弥陀仏)と一緒に生きることです。信心をいただいても煩悩具足の凡夫には変わりないので、縁により喜んだり、悲しんだり、腹が立ったり、苦しむ時もあります。信心があってもありがたい時もあれば、ありがたくない時もあるのです。しかしどんな時でも私の姿を気づかせ、導き、支えてくださっています。とくに辛い時、苦しい時、寂しい時、私の口から南無阿弥陀仏とお出ましになり一緒に悲しみ苦しんでいられます。そして阿弥陀さまが私の中に同居してくださっていることは、生きる方向を示してくださっているのであり、必ず浄土へと導いてくださっているのです。「いつ死んでもよし、いつまでも長生きしてよし、おまかせです」「まだ死にとうない未練はある、でも不安はない、帰る処がある」と、死の不安を解決してくださるのです。阿弥陀さまといつも一緒に、煩悩の火を燃やしながらも、安心して力いっぱい浄土への道を歩む人生です。

at 02:42, 不死川 浄, -

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