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喚(よ)びさます

 人間とは愚かな存在です。縁次第で何を思い何をするかわかりません。死ぬまで自我・我執の無くならない罪悪深重の凡夫です。たとえ信心をいただいても凡夫であることに変わりはありません。それ故に如来はみ名「南無阿弥陀仏」となり、いつも私たちを喚びさましてくださっているのです。念仏を称えることを称名といいますが、称名とは私の口からみ名を称えることですが、み名を称えることはそのまま如来の願いを聞くことであります。称名とは、み名を聞くことであります。称名とは心を集中して一生懸命に数多く称えることに価値があるのではなく、み名を称えることにより、いつも私を喚びさましてくださる如来の願いを聞くことなのです。常に自我中心に生き、思い通りにならなかったらすぐに怒りや腹立ちの心を起こし、真実を見失っている私を喚びさまして下さっているのです。命尽きるまで、み名を称え、み名を聞き、真実の道である浄土への道を歩ませていただくのです。死ぬまで仏さまに導かれ育てられる「育ちざかりの人生」を生きるのです。

at 14:34, 不死川 浄, -

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この世に生まれて

 私たちは不思議なご縁でこの世に生まれてきました。「人身受け難くして、いますでに受く」です。この世に生まれたのは自分の意志ではありません。気がつけば生まれていたのです。男として女として、この時代に、この地域に、親を縁として、もって生まれたものはみな違って生まれてきました。そして老少不定で順番はありませんし、死の縁無量でどんな死に方をするかわかりませんが、必ず命終えていきます。ただ一回限りの人生です。人から見れば取るに足らないささやかな生涯であっても、私にとっては二度と繰り返すことのない、かけがえのない大切な人生です。ほとんどの人は優れた功績や名前を残すことなく死んでいき、「去る者は日日に疎し」ということわざにあるように、いつしか忘れられていく存在です。 だからこそ、この人生に「豊かな生命の充実」が欲しいのです。 短い人生であっても、悲しいことや辛いことが多い人生であっても、私にとってこの人生は、「良い人生であった、ありがたい人生であった」と、合掌して命終えていけるような、豊かな生命の充実が欲しいのです。それには聞かねばならないものを聞かせたいただくのです。遇うべきものに遇わせていただくのです。「仏法聞き難くしていますでに聞く」といわれるように、聞き難い仏法に遇うことにより、この世に生まれた意味を知らせていただくのです。苦労の絶えない、ささやかな生涯であっても、この世に私として生まれてきて本当に良かったと心から言える人生を送りたいものです。

at 12:16, 不死川 浄, -

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根無し草

 根無し草とは、地中に根を張らず、水に浮いている草、浮き草のことですが、浮き草のように漂って確かな依りどころのない生活の例えとして言われます。人間はもともと根無し草のように確かな根を持っていないのです。心も言葉一つで喜んだり、悲しんだり、怒ったりコロコロしています。縁ひとつ状況次第で不安になったり、思い上がったり、人を責めたりフラフラしています。強い意志を持ち決して変わることはないと思っていても、不幸が続くとどう揺らぐかわかりません。仏法を聞くとは、揺れる心を揺れないようにするのではありません。不安をなくす教えではありません。何故私たちは、縁次第で動揺したり、不安になるかを、その由来を明らかにしてくださっているのです。私たちは自我中心に生き、確かないのちの根を持っていない存在であり、どんなに頑張っても人間は縁次第で動揺したり、不安になるものだと気づかせ、「揺れたっていいんだよ、不安になっていいんだよ、それは風にまかせておればいいんだよ」と教えてくださっているのです。阿弥陀如来はその人間の器量を見抜き、念仏となり「私があなたの根となり、どんな状況になっても支えます。決して見捨てません」といつもよびかけてくださっているのです。「根さえしっかりしていれば、枝や葉は揺れたっていい、風にまかせておればいい」です。念仏とは私たちのいのちの根となるのです。

at 20:17, 不死川 浄, -

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コロナ禍を活かす

 このたびのコロナ禍をどう受け止め、どう活かしていくべきか、私たち一人一人に問われています。まず与えられた事実は受け止めなければならない。生きていればいろいろなご縁に遇います。良いことも悪いことも与えられたご縁です。その積み重ねが今の私であり、いまの社会です。与えられたご縁をどう活かし対応するかによって人間も社会も築かれていきます。新型コロナウイルスの大流行は世界中に大きな打撃を与えていますが、この危機は、これから人類がどう生きていくべきかを問うチャンスでもあります。ノーベル平和賞を受賞されたバングラデシュのムハマド・ユヌス氏は「新型コロナは突然、世界の文脈と計算式を変え、存在しなかった大胆な可能性の扉を開いた。私たちはまっさらな白紙の状態に戻り、どんな方向へも行ける。信じられないほど自由に、未来を選択できるのだ」と述べられています。これからどういう社会を築いていくべきか。貧富の差がなく安心して生活するにはどういう経済制度がいいのか、どのようにコロナと共存し自然環境を守っていくのか、自他ともに心豊かに生きていくことの社会を実現するにはどう生きるべきかを、コロナ禍が教えてくれている気がします。一人一人がきちんと向き合い、これからどう生きるべきかを問うていきたいです。

at 18:04, 不死川 浄, -

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変化に対応する

 まだまだ新型コロナウイルスの感染で自粛が続いていますが、この時は次のステップの充電期間です。しっかり充電してください。ダウィンの『進化論』に「強いものが生き残れるのではない、賢いものが生き残れるのではない、変化に対応できるものが生き残れるのだ」とあります。この世は無常です。毎日刻々と変化しています。小さい変化ならすぐに対応できても、日常生活が変化するような大きな変化にはなかなか対応が難しいです。対応ができなければ愚痴や腹立ちや諦めや失望で終わります。変化に対応できる力を身に着けてもらいたいです。ピンチをチャンスにできる力です。「根さえしっかりしていれば、枝や葉は揺れたっていいじゃないか、風にまかせたおればいい」(相田みつを)とあります。変化に対応できるには生きる土台・根・要・支えがしっかりしてなくてはなりません。生きる土台や根っこがしっかりしていれば、枝や葉が大きく揺れても倒れないように、事実を受け止めてこれからの人生に向けて対応できます。念仏に遇うということは、阿弥陀如来が「私があなたの生きる大地となります。どんな状況になろうともあなたをしっかり支えますから、仏の大地に樹(た)ってしっかり生きてください」とよび続けて下さっているのです。

at 15:23, 不死川 浄, -

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何故信じられないのか

 浄土真宗は阿弥陀如来の願いを聞く教えです。苦悩の有情を必ず救うという願いです。その願いが念仏となって私たちによびかけられています。願いが我が身に届いたことが信心ですが、「何十年聞いたが信じられない」「どれほど聞いてもわからん」という声を聞きます。何故信じられないのか、なぜわからないのか。それは自分の理性や分別で信じようとするからです。自分の頭でわかろうとするからわからないのです。自分でわかろうとする心がわからなくしているのです。仏の願いを聞くということは、少しも自力のハカライが入ったら聞こえないのです。疑いが晴れません。日本画家、東山魁夷氏の言葉に「私が花を美しいと捉えようとしている間は、まだ花の美に出会っていないのです。偉大な芸術家たちは、みなものの美に捉えられた人たちです。自分の我があったら本当に美しい絵は生まれないのです」とありました。花の美に我が破られるのです。同じように仏さまに我が破られ、仏さまの「そのまま救う」という願いが届いてくるのです。自力で聞こうとしている間は少しも聞いたことにならないのです。仏法を聞くということは、仏さまに自力では救われない我が身だと知らされ我が破れたとき、仏さまの願いが我が身に響いてくるのです。

at 18:04, 不死川 浄, -

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花の命は短いが

 今年も桜がきれいに咲いてくれました。しかしどんなに美しい花でも必ず枯れて散っていきます。永遠に変わらないこの世の真理です。花の命は短いが、花を咲かせるいのちのはたらきは無限、無量です。いのちは休むことなくはたらき続けているので、きっと来年も、再来年も美しい花を咲かせることでしょう。人間の命も、この世に生きている期間、眼に見えない永遠のいのち、無量の寿(いのち)によって生かされています。死の縁がくれば、いま生かしている永遠のいのちの世界、無量寿の世界である浄土へ帰っていくのです。今度は仏となり新しい活動が始まるのです。「まず有縁を度すべきなり」と言われているように、自分の身近なものから救おうとはたらき続けるのです。もともと私たちの命は自分のものではありません。無量寿のいのちです。しかし赤ん坊の時は知らないが、自我にめざめ少し小賢しく自力になって、我が命と思うようになるのです。そこから苦悩が始まるのです。それゆえ阿弥陀如来は念仏となり「いのちの真実に目覚めよ」とよび続けてくださっているのです。いのちの真実に気づけば、生死を超えることができます。死が怖くなくなります。「心は浄土に遊ぶなり」です。死の縁が来れば名残惜しいが、安心していのちの故郷に帰らせていただくのです。

at 15:35, 不死川 浄, -

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何故喜べないのか

 念仏を称えても、少しも喜べないという人がいます。何故念仏を称えても喜べないかというと、念仏を称えている人の主体が「我」になっているからです。それは念仏を私有化しているのです。自分勝手な念仏です。自分勝手な念仏をいくら称えても喜べません。念仏を称える主体は阿弥陀如来です。言葉無くして仏の願いは伝わりませんので、阿弥陀仏が凡夫の私たちを救うために、言葉の仏となって「阿弥陀仏に南無せよ」「我にまかせ、必ず救う」といつも呼んでくださっているのです。念仏を称えることは、阿弥陀仏の呼びかけに応えることでありますから、どこまでも主体は阿弥陀仏なのです。念仏を称えることは、阿弥陀仏の願いを聞くことであり、また願いが我が身に届いたことでありますから、大きな喜びです。苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、どんな時でも私の居場所を与えてくださり、自分を取り戻し支えてくださいます。いつでも、どこでも、どんなときでも呼んでくださっています。応えましょう。

at 16:14, 不死川 浄, -

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コロナから学ぶ

 人生何が起こるかわかりません。一寸先は闇です。それ故にこそ元気な時から、若いうちから、平生の時から、どっちに転んでも大丈夫と言える、生きる土台となる教えを聞いていなければならないのです。このたびのコロナウイルスにより人間の愚かさ、醜さ、自分勝手さが知らされます。マスクや消毒液の買い占め、また欧米ではアジア人に対する差別や偏見が多く起こっています。日本でも医療従事者、感染者や周りの人たちへの差別や偏見が多く起こっています。誰しもいつどこで感染するかわからない、もし自分や家族が感染し差別、中傷されたらどんな気持ちになるか考えてもらいたい。見えない恐怖に正しく向き合い、自分で考える物差しを持ってもらいたいです。なぜコロナウイルスが起こったのか。ウイルスが人間を襲ったのではなく、人間のほうからウイルスを引き出してしまったのだ、コロナウイルスは天災ではなく人災であり、現代の矛盾を映し出す鏡であるといわれています。イタリア人作家パオラ・ジョルダーノさんは、「ウイルスを引き出したのは、野生動物と人間の接触であり、その一因にますます頻繁になっている豪雨と干ばつの激しく交互する異常気象があり、その原因は温暖化による気候変動である」「自然と環境に対する危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそある」と述べています。これから私たちが自然と環境についてどう生きていくべきかをとても考えさせられます。このたびのコロナウイルスが終息しても、人間が傲慢になり、自然環境を傷つけると、地球からの警鐘としてまた新しいウイルスが起こってくるでしょう。

at 17:37, 不死川 浄, -

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今月の言葉

 今月の掲示板には、「良いことも悪いことも上手に付き合っていこう、二度とない人生だから」「逆風でも帆の立て方で船は進む」(荒了寛師)と書きました。私たちは今どのように帆を立てて進めばよいのでしょうか。昨日いただいたメールに「長い春休みをいただきました。こんなにゆっくりとした時間を過ごせるのは今だけだと気持ちを切り替えて悔いなく過ごします」また「貴重な時間をいただきました。いままで読みたかった本をゆっくり読みます」とありました。生きていればいろいろなご縁に遇います。良いご縁、悪いご縁、さまざまなご縁に遇います。それはみんないただきものなのです。与えられたものは受け止めなければならないのです。「どうして私がこんな嫌な目に合うのか」と愚痴をこぼすのではなく、苦しいでしょうが受け止めるしかないのです。現実を正しく見て、そのご縁をいただき、受け止めることにより生きる方向が見えてくるのではないでしょうか。悪いご縁を生かすことを逆縁といいます。人間は苦しい悲しい辛いご縁に遇うことによって、学び、育てられ、強くなっていくのです。仏教は、災難が来ないようにと祈るのではなく、災難が来ても引き受けていける力を得ることを教えています。

at 18:04, 不死川 浄, -

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